社会福祉法人 てしま福祉会
精神障害者 地域活動支援センター
咲笑(さくら)
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病気体験談集
We are not alone
重台 真輔
【発病】
こんにちは!咲笑のメンバーで、ピアヘルパーを利用している重台真輔です。
私の病気になったきっかけは、新聞に黒澤明監督の「影武者」のオーディションでした。一次、二次をパスし、どんな役がつくかワクワクしていましたが、結局エキストラでした。今から思えば滑稽ですが、その頃は真剣でした。挫折感からか「外国の影武者に映っている」とか「20億円入ってくる」とかの妄想が出てきて、父に「お前聞いてるやろう。教えろ!」と父を責めました。父が「知らん」と答えたので、腹が立って、壁を足で蹴ってへこましました。また、「テレビが自分を見ている」「ラジオが自分の声を聴いている」とか「電車に飛び込め」とかの幻聴に悩まされて、知らない人達がそれを聞いて面白がっていると思い、毎日父を怒鳴っていました。幸いなことに母が同じ病気を持っていましたので自分も病気になったなと思いましたが、当時の私は皆さんと一緒で、精神病院は怖いものだと思っていましたので、自分では行けませんでした。父に「病気が出てきたから病院へ行こう」と言われるまで、6カ月苦しみました。父に連れられ受診し、統合失調症と診断されました。それ以降は、同じような幻聴が出てくると「病気がでてきたなあ」と思い自分で入院しました。皆さんが「病気になったかな」と思ったら近くのクリニックに行ってもらいたいものです。池田市には3つのクリニックがあります。正岡クリニック、大久保クリニック、勝田クリニックです。
【生活】
さて、生活面では、父が平成7年に死亡してから、一人暮らしが始まりました。ラーメン、納豆、レトルトカレー生活でした。1年間に半年は、入院している生活でした。「生活保護を止めるぞ」とか「兄の借金で暴力団が襲ってくる」とか聴こえてきて、不安になり、21回の入退院を繰り返しました。平成12年1月頃にさわやか公社のヘルパーを受け始めました。ヘルパーさんに来てもらうようになって、普通に料理を作ってもらい、食生活の改善がなされました。さわやか公社からは、ヘルパーさんは、一人で来られるのと、健常者の方なので、話題がないし、しんどいと言っても分かってくれないやろうと、気を許すことができませんでした。ヘルパーさんが来る2時間は、とても緊張する2時間でした。
この3年支援センター咲笑ができてからは、借金問題も解決したし、病院への入院はしていません。平成14年6月、咲笑と同じ事務所のヘルパーステーション「アパラン」からピアヘルパーを派遣してもらうようになりました。ピアは「仲間」という意味です。ピアヘルパーのHさん、Kさんは池田作業所や、保健所のサークル「もくよう会」で先に知っていたので、気の許せる仲間として受け入れる事が出来ました。ピアヘルパーさんは、来るなり台風の如く掃除を始め、私がやっていなかった奥の部屋まできっちりやってくださいました。料理も5日分を1000円以内で収めてくれています。でも、少々ヘルパーが来る日は、緊張しますので、少し疲れます。そして、馴れ合いになって「もう、ここへは来んとこう」とかイジワルを言われましたが、ヘルパー会議で「初心に戻ってください」と言ったら、今は言わなくなりました。また、余った食材を咲笑で買ってくれるので、助かっています。ピアヘルパーの2時間は、緊張しますが同じ病を持っている方なので、僕もヘルパーさんに気を使って休憩を取ってもらっています。お互い様やという気持ちがあります。
【リハビリ】
退院した時には、まだリハビリの必要な時なのに僕は、父の生きている間、退院するとすぐに、働きに行っていました。働く意欲はあったし、退院すると薬を飲まなくなっていたので、働けました。でも、3ヶ月程すると、幻聴や不安感が強くなり入院をしていました。5年間程3ヶ月の入院、3ヶ月の在宅生活を繰り返していました。病院での友人もでき、通院を続けるようになりましたが、幻聴は取れなくなりました。ホームにたっていると幻聴で「線路に飛び込め」と聞こえてくるので、すぐにとびこめないように、ホームの後ろでしゃがんでいます。電車が止まってから、動くようにしています。父の晩年には、家の仕事くらいしか出来なくなっていました。そういうことを分かってくだされば、退院したらすぐに働くというプレッシャーも感じないで、きちんと療養できる環境だと思います。普通に見えてもこころの中では、さざなみが立っているので、周囲の方々にはそれを分かって頂きたいです。
僕もヘルパーさんを派遣してもらって5年目になります。少し余裕がでてきたので、自分も出来ることはしようと思い、洗濯はして、干すのが苦手なのでやってもらう。また、食器洗いとご飯は自分で炊くようにしています。4年ぐらいかかって、こういうことが出来るエネルギーが貯まってきたといえます。皆さんに理解して欲しいことは「しんどいときは、こういうことも出来ない」ということを分かってください。
【We are not alone】
2年前になりますが、ニューヨークへ行ってきました。精神障害者の施設で研修を受けてきました。そこは、ファウンテンハウスといって、1944年退院したメンバーが自分たちが集まれる場所を確保し、施設運営の様々な仕事がリハビリに役に立つという基本方針で、今や、「クラブハウス方式」といわれる運営方針を確立しています。そこで、無償で働くメンバーを見て、僕も無償で咲笑で働こうと思いました。咲笑では、ビデオにありましたように、モーニングサービスのチーフとして、コーヒーを入れたり、パンを焼いたり、買出しの重い荷物は必ず僕が動員されます。職員さんより出勤率は高く、唯一火曜日が定休日です。NHKの福祉ネットワークでは、買い物を「訓練」と位置付けていましたが、確かに訓練だと思いますが、訓練といったら押し付けのようですが、楽しくやっています。
咲笑や池田作業所、今はありませんが池田保健所のもくよう会を知る前は、一人で悶々としていました。今はファウンテンハウス精神の「We are not alone」です。咲笑にいくと独りじゃないんだという事が実感できます。咲笑は土曜日も日曜日もやっています。おいしいコーヒーを入れますので、ぜひ、一度来て下さい。