社会福祉法人 てしま福祉会
精神障害者 地域活動支援センター
咲笑(さくら)
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病気体験談集
私の体験談
中島 明彦
皆さんこんにちは。咲笑に通っているメンバーの中島 明彦という者です。
まず最初に一部、知的障害と精神障害を混同してらっしゃる方もいるので、一言言っておきます。精神障害者は、知的には関係なくかかる病です。自分で言うのもなんですが、私は頭の回転が速く、色々と先々考えてしまうという面があります。
さて本題ですが、私は府立箕面高校を卒業しました。
これが又中途半端な学校で、男子はほとんど大学進学でしたが、差の激しい学校でした。
親はとにかく大学へ行けの一辺倒で、そのくせアルバイトはさせてくれませんでした。
父親には、学生は勉強するのが仕事やと言われ続けました。
私は特に父親を憎み続けていました。
ものすごい声で怒鳴ったり、短気で、飲食店に入ると来るのが遅いと言って、頼んでいるのにさっさと店を出て行く、そんな父親でした。
でも、もっと驚いたのは大人になって皆の友達に聞いたら、昭和一桁の父親というのは、そんな人が圧倒的に多いということでした。 今でも虐待問題がありますもんね。
そんな中、はっきり発病したのは高校3年の春休みの時でした。はっきりした声で、「アホ!アホ!」と聞こえてきたのです。
忘れもしない、ちょうど「数1ファイナル」という参考書を勉強している時でした。
あれっとカーテンを開けても、外を覗いても誰もいない。何がなんだか分からなくて、カーテンを閉めまくって、それでも英単語の勉強をしようとしたのですが、声は消えず、それきり勉強をするやる気をすっかりなくしてしまいました。
とどめは春休みが終わって高3の一学期、学校に行くと朝礼で、全生徒がアホアホと言っているのです。
病気という自覚が無く、ほんまにそう言われていると思い込み、親にも打ち明けました。
後で分かったのですが、それが幻聴のはじまりだったのです。
カラスの鳴き声や、発情期の猫の声もアホアホと聞こえてきたのです。
高3の一学期の中間テストはほとんど赤点でした。
これでは卒業も危ないと思い、幻聴も四六時中という訳でなくなったので、頑張って期末で、全て黒点に戻しました。
でも受験どころではなくなってしまい、学校の校医の勧めで関西電力病院の精神科へ通い始め、学校の月曜の5時限目は通院の時間と変わりました。
先程言ったように幻聴というのは四六時中聞こえてくるのではありません。ピンポイントで攻撃してくるのです。
そのころから妄想、被害妄想なのですが、自分の頭の中は誰かに見られている、テレパシーみたいな感じを持ちはじめました。精神科の先生にも幻聴は消せるが、妄想を消すのは難しいぞと言われてしまいました。
ともあれやっとのことで、高校を卒業し、無駄な大学受験などを経た後、21歳の頃から普通の会社に勤め始めました。普通の会社に勤めている時、一番ネックとなったのは、通院と服薬でした。
土、日やっている病院が今と違って無くて、薬も昼間飲むのが何の薬やという点で苦痛でした。
山あり谷ありで35歳の頃まで会社を変えながら働いた後保健所を紹介され、精神病患者のリハビリ施設、池田作業所に入所しました。
社会適応訓練、職場適応訓練といろいろ経験しましたが、何より保健所と作業所と当事者の仲間と出会えて今では良かったと思っています。
咲笑はつくる会から参加し、私が言い出しっぺということもあり、色々と提案も受け入れてもらえ、大変嬉しかったです。
何より気軽に病気の話ができ、いろんなメンバーの体験談、知識、話題などで、私にも相当勉強になっています。
統合失調症というのは今のところ、一生薬を飲まなければならないとのことですが、自分の病気も自覚し、変な自分に対する偏見も無いので、比較的スムーズに暮らしています。
長い闘病生活で、最近ではむしろ、病気で身を立てようと当事者会「ムジャンマ」も発足させ、その代表も勤めながら、精神障害者当事者相談員という仕事も務めています。
終わりに若い皆さんに言いたいのですが、自分が間違っただけに、進路を考えるにも単に大学に入る等狭い視野でなく、世の中をもっと広い目で見て、グローバルな視点で小さなところに囚われず、これからの人生の進むべき道を見つけて下さい。若い健康な皆さんには、無限の可能性があります。全世界を視野に入れ、小細工をせず立派な大人になってください。そして、万一病気になったとしても、私たち一同、応援しています。
長々と聞いていただき有難うございました。
See you again Good Luck