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病気体験談集

精神障害者地域生活支援センター咲笑と出会って

K. T.

今日は今回のシンポジウムのテーマ「地域とともに暮らすために」に沿って、精神障害者である私の病気のことや、地域生活支援センター咲笑との出会いについてお話をさせていただきたいと思います。
● 私の病気
私の患っている病気は、国際分類では統合失調感情障害、日本の分類では非定型精神病と言われています。言葉どおり、型の定まらない色々な症状が出る病気で、かつて精神分裂病と言われた統合失調症と、かつて躁鬱病といわれた感情障害の両方の症状がでる病気です。特にうつ状態がひどく、軽い躁状態も自分で認識しているので、私が感情障害を患っていることは簡単に自覚できるのですが、その特徴的な症状である幻覚・妄想状態がない私が統合失調症を患っていることを知った時はとても驚きました。私は医師が隠していた病名を病院内のアクシデントで自分のカルテを見ることによって知ってしまいましたが、その時医師から、病名を知ることの利益より知らないことの利益の方が大きいから病名を隠していたこと、また、病名については親にも言うなと言われました。そして、その後、複数の医師が色々な面から私が統合失調症を患っていることを丁寧に説明してくれたので、今は自分が統合失調症を患っていることを納得しています。そして、入院した時たくさんの統合失調症の患者さんの話を聞き、私にも僅かな幻覚があることを認識しました。幻覚には幻聴、幻視、幻臭、幻味、幻触、体感幻覚がありますが、私には幻視と体感幻覚の症状があります。幻視はベッドの上に置いてある本を取ろうとしたら本がなかったことが一度ありました。また、躁状態の時、ペ・ヨンジュン主演の全部で66話ある「初恋」という韓国ドラマの最後の18話、計16時間半を字幕ビデオで続けて見て、身体が動かなくなり、救急車を呼んで精神科病院に緊急入院したのですが、その時、看護婦さんの白衣がピンク色に見えたことがあり、今でもとても疲れると人の顔色が濃く見えます。そして、体感幻覚も滅多に起きませんが、疲労が極限状態に達すると、感じるはずのない脳の動きを感じます。脳がぴくぴく動いている気がします。統合失調症と感情障害は2大精神病といわれ、この2つの病気になる割合は統合失調症は概ね100人に1人で、大体胃潰瘍になる割合と同じくらい、躁状態を伴う感情障害はそれより若干少ないですが、いずれもとても一般的な病気です。また、精神科病院の入院患者の6割、通院患者の2割から3割は統合失調症の患者です。
● うつ状態
色々な症状の中で、私にとって一番辛いのはなんと言ってもうつ状態です。ひどいうつ状態が月に1回のペースでやってきます。うつ状態になると、本を読む事も、テレビを見る事も、音楽を聴くこともできなくなります。また、身の回りを清潔に保つことができなくなり、掃除や片付けをしないことはもちろん、お風呂に入ったり、歯を磨いたり、顔を洗ったりすることも億劫になります。静かな部屋で、時計の秒針がカチカチカチと動く音を聞きながら、必死でうつ状態を堪えています。うつ状態は最長2ヶ月間続いたことがあり、うつ状態がひどい時は、一番長くて10日間お風呂に入らなかったことがあります。また、顔を洗うのがめんどうくさくて、メイク落し用のウエットティッシュで顔を拭き、歯を磨く代わりに糸ようじで、寝ながら歯の掃除をしたりしています。うつ状態は私にとっては本当に辛く苦しいものなので、うつ状態になると、うつ状態から逃れるには死ぬしかないと思ってしまう自殺願望に頭が支配されます。そして、かつては睡眠薬200錠を飲んで自殺をはかったこともありました。うつ状態の時、お風呂に入らず、汚い身体で布団の上に寝ていると、自分が腐って朽ちてゆくような気がします。このようにうつ状態は私には耐え難いものですが、入院したり、咲笑に通ったりして出会った人たちのなかには、私よりひどいうつ状態に苦しんだ人たちが大勢いました。4ヶ月お風呂に入れなかったという人や、2ヶ月歯を磨けなかった人もいました。事実、精神科病院には、長い間歯が磨けなかったせいか、まだ若いのに歯の大部分がない人達がたくさんいます。
● 咲笑と出会うまで
ひとり暮らしをしている私にとって、うつ状態になった時の一番の問題は食べ物と飲物の確保です。私はうつ状態で飲食物を買うために外出することができない時、あらゆる手段を講じて生きてきました。一番簡単な方法は手元に現金がなくてもクレジットカードが使えるピザ屋さん(シカゴデリータ)から飲食物を宅配してもらう方法です。しかし、この方法は食べるものがピザやスパゲッティに限られ、また値段がとても高いです。手元にお金があるとしても、店屋物はやはり高いので、店屋物を取り続けることはできません。そこで、私は普段から仲良くしていただいている近所の石橋商店街の八百屋さんやコーヒー豆屋さんに電話でお願いして、お店に売っているものと一緒にお店に売ってないものまで買ってきてもらったり、時には手作りのお料理を持ってきていただいたこともありました。また、社会福祉協議会に登録しているボランティアさんに部屋の片づけや買い物をお願いしたこともあります。こんなことを言うと、私は随分図々しい人間のように思われるかもしれませんが、やはり他人に買い物をお願いするのにとても心苦しい思いをしました。
● 地域生活支援センターとの出会い
「地域生活支援センター」と聞いて何をするところかわかる人はほとんどいないと思います。実際その内容は地域によって随分違うようです。私が地域生活支援センターに初めて出会ったのは平成14年のことでした。私はうつ状態が苦しくて苦しくてたまらず、なんとか病状が軽くならないかとインターネットで調べているうちに、働き過ぎてうつ病になった人が2、3ヶ月の入院で社会復帰することだけを目的に作られた施設を見つけることができました。九州の大牟田市にある不知火病院・ストレスケアセンター・海の病棟という施設です。私はそこに4ヶ月入院しました。その病院のすぐ近くに地域生活支援センターがあり、私は入院仲間の薦めで登録しました。しかし、そこは窓口に受付けの人が一人いて、パソコンが1台おいてある狭い部屋と無料で飲めるジュースがおいてある広い部屋があるだけのところで、私はインターネットが使いたい時だけ、そこに通っていました。
● 咲笑との出会い
私が咲笑と出会ったのは、高槻の病院の主治医の勘違いのおかげです。私は高槻に住む統合失調症を患う友人の紹介で3年前から高槻の病院に通っています。その病院は完全予約制で一人当たり毎回30分時間を割いてくれるところで、体調が悪くて病院へ行けない時は電話診療もしてくれる病院です。そこの主治医がとても親切なので気に入っています。私はある日病院に行き、待合室で診察を待っている時、待合室においてある高槻市の地域生活支援センターのパンフレットを目にしました。そして、高槻の地域生活支援センターでは、皆で喫茶店を営業したり、お菓子や夕食作りをしていることを知り、家に引きこもりがちな病院を紹介してくれた友人に教えてあげようと思い、パンフレットを真剣に見ていました。その時主治医が診察室から出てきて、私が自分のために地域生活支援センターを探していると勘違いして、池田市の地域生活支援センター咲笑の連絡先を教えてくれました。そういう訳で、私は主治医の勘違いで咲笑を知ることができたのです。私は早速咲笑に電話して、咲笑を訪れ、すぐにメンバー登録をしました。
● 咲笑のサービス
私が咲笑に登録してから、1年半が過ぎましたが、今一番言いたいのは、もっと早く咲笑を知りたかったということです。咲笑では、水曜日と土曜日の食事サービスの日はもとより、金曜日以外の日は150円から250円というとても安い値段で食事を提供してくれます。そして、私がうつ状態で外出できない時は咲笑で作った食事を家まで届けてくれるのです。お願いすれば、食事を届けてくれる時に簡単なお買い物もしてもらえます。お陰で私にとって大問題だったうつ状態の時の飲食物の確保が簡単にできるようになりました。私にとっては何より有難いことです。次に私が咲笑のサービスで有難いと思っているのは、車でのお迎えです。石橋に住んでいる私は元気な時は徒歩で、ちょっと疲れている時は電車に乗って咲笑に行きますが、電車に乗るのも億劫な時も時々あります。そういう時は咲笑に電話すると、車で迎えにきてもらえます。それ以外でも、咲笑では、全自動洗濯乾燥機が利用できるので、洗濯物がたくさん溜まってしまった時は利用させてもらっていますし、自宅のユニットバスに入る気力が湧かない時には咲笑の広くて気持ちいいお風呂に入浴させてもらっています。お風呂のないアパートに住んでいるメンバーさんにとっては、1回100円の入浴サービスはとても有難いものだと思います。
● 私にとって咲笑とは
咲笑の良いところはサービスだけではありません。何よりも大切なことは咲笑には私と同じように精神疾患を患う仲間と、私たちのことをいつも真剣に考え見守ってくださるスタッフの方達がいることです。咲笑のメンバーさん達は、本当に繊細で、真面目で、良心的で、嘘がつけない正直な人達ばかりです。そして、10年、20年、30年と長い間病気を患いながらも家族に病気のことをなかなか理解してもらえなかったり、精神病に対する偏見に苦しみながら、遠慮しながら一生懸命生きています。また、スタッフの人達はいつも穏やかで暖かく、時には医者にはできないようなアドバイスをしてくださいます。今私は40歳ですが、32歳の時、母校の阪大の大学院に進学しようとして大学時代の恩師を訪ねました。その時恩師は29歳で働きながら会計士の資格を取りながら、病気のために東京での仕事を辞めてしまい、大学院で労働経済学を学びたいという私の話を聞いて、「早く自分の居場所をみつけなさい。」とおっしゃってくださいました。結局、大学院に進学したものの、病気のために中退してしまい、その時から、自分の居場所を見つけることが私の課題のように思ってきたのですが、この歳になってやっと自分の居場所を見つけることができたような気がします。それが咲笑です。時間はあるもののお金がなく、図書館で本を借りて読みたくても、薬の副作用で集中力が低下し、本が読めない私は、とても暇です。でも、咲笑にいけば、一緒に集う仲間や、スタッフの方達がいます。咲笑で話をしたり、食事作りを手伝ったりすることで、楽しい時間が過ぎていきます。私は咲笑に出会って、本当に良かったと思っています。
● 最後に(私の希望)
地域生活支援センターは15万人にひとつをつくることを目標に作られ始めたそうですが、私の知る限り咲笑ほどサービスが充実している地域生活支援センターを聞いたこともないですし、地域生活支援センターが全くない自治体もたくさんあるそうです。私は咲笑に出会えてとても幸運でしたが、池田市民の皆さんには咲笑のことや、咲笑で過ごしている私たち精神障害者のことをもっと知ってもらいたいですし、ほかの地域で精神病を患っている人達のために、咲笑と同じような地域生活支援センターがたくさんできたらいいなぁと思います。精神障害者は長く偏見に苦しめられてきましたが、地域生活支援センターを中心に、精神障害者が地域とともに暮らすことで、精神病も心臓病や糖尿病などと同じ一つの病気であり、遺伝と環境に関係する脳の機能障害であることを理解してもらい、精神障害者が堂々と生きられる社会になってほしいと思っています。
以上で私の話は終わりです。ご静聴ありがとうございました。

 

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