社会福祉法人 てしま福祉会
精神障害者 地域活動支援センター
咲笑(さくら)
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病気体験談集
精神障害者として生きていくということ
K.T.
「うつ状態で苦しくて苦しくて仕方がないのに、どうして自殺してはいけないのですか?」と聞かれて、即答できる人はいるでしょうか?
今の私に言えるのは、うつ状態は時間が経てば必ず収まる(私の場合は最長5週間)ということ、親より先に死ぬほどの親不孝はない、そして生を全うすることの意味がわかるまでとりあえず生きてみようということです。
発病して10年の月日が経ちましたが、なんとか病状を良くしよう、少しでも楽になりたいの一心で今まで必死で生きてきたつもりです。実家が岐阜、住まいが大阪の私は3年前インターネットで探した九州の病院まで入院治療に行きました。そこは、働きすぎてうつ病になった人が2、3ヶ月の入院で社会復帰を目指すことだけを目的とした入院施設でした。あまりにうつ状態が苦しくて自暴自棄になり、睡眠薬200錠を飲んで自殺を図ったこともありましたが、この入院生活に一縷の望みをかけ、私は九州まで行きました。そして、そこでの4ヶ月の入院生活、特に担当医の高い志に胸を打たれ、私は退院後社会復帰をすることができました。しかし、その道はもちろん平坦なものではありませんでした。
最初の壁にぶち当たったのは退院して半年ほどのことでした。病院内のアクシデントで、自分のカルテに張られた信頼する九州の主治医の書いた紹介状の病名が書かれた欄を私は目にしてしまったのです。病名は統合失調症(精神分裂病)。幻覚と妄想を特徴とするこの病気を私が患っている。まさか・・・と思いました。その日私はとても動揺し、置き忘れた預金通帳を警察に取りに行った帰りに、銀行のATMでキャッシュカードを置き忘れてしまいました。少し考えた結果、事実を伝え、主治医に説明するより他はないと思い、勇気を出して私は病院に行きました。そして、私は自分が統合失調症(精神分裂病)、もしくは感情障害(躁うつ病)を患っていることを知りました。
最終的には、失調感情障害(非定型精神病)という、統合失調症(精神分裂病)と感情障害(躁うつ病)の両方の症状が現れる病気を患っていると判定されました。統合失調症は大きく3つの型(破瓜型、緊張型、妄想型)に分けられますが、私の場合はそのいずれにも当てはまらない単純型で、統合失調症(精神分裂病)の特徴的な症状である幻覚も妄想もありません。そして感情障害(躁うつ病)に関しては、躁状態は軽いのですが、うつ状態はとても重く、ひどい時はトイレに行くのも億劫になってしまいます。
外出はもちろん、料理をすることも、お風呂に入ることも、歯磨きをすることも、テレビを見ることも、音楽を聴くこともできなくなってしまいます。静かな部屋で布団に寝転びながら、カチカチカチと動く時計の秒針の動く音だけを聞きながら、ひたすら時が経ってうつ状態から開放されるのを待っています。
ひとり暮らしをしている私にとってうつ状態は大変辛いものですが、今は信頼する主治医の下で、地域生活支援センター咲笑のバックアップを得て、友情に厚い友人に職場を提供してもらいながら、なんとか大阪でのひとり暮らしを続けています。うつ状態がひどくて、食べるものも飲むものもなくなってしまったときは咲笑に電話して、食べるものや飲むものを配達してもらうこともあります。
九州や豊中で地域支援生活センターを見学したことのある私にとっては、池田市の地域支援生活センターのサービスの充実ぶりは驚くべきものでした。そして、その充実ぶりの理由が大阪教育大学付属池田小学校の児童殺傷事件の容疑者が精神障害者であり、この事件がきっかけで、池田市に住む精神障害者が差別されることなく地域で暮らして行けることを目標に作られたことを知った時、事件で失われた尊い命を拝むような気持ちになりました。
29歳で発病し39歳になった私は、独身で、子供もおらず、少しのアルバイトと障害年金と生活保護で細々と暮らしています。そんな私は他人から見たらとても可愛そうな人に見られるかもしれません。しかし、私は大勢の人に支えながら生きている自分のことを決して不幸だとは思っていません。精神疾患を患っていることによって、私のことを「弱い人」と言った人はたくさんいますが、強いと弱いは相対的な概念であり、弱い人がいなければ強い人は存在しないし、人間というのは多面な存在で、強いところもあれば弱いところもあって当然であると私は思っています。
様々な事情で精神障害を患っている多くの人たちが、少しでも楽しく生きていける、そんな世の中になることを期待しています。そして、その為に微力ではありますが私自身も貢献していけるようになりたいと考えています。