社会福祉法人 てしま福祉会
精神障害者 地域活動支援センター
咲笑(さくら)
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病気体験談集
生きて愛するために
森のくまさん
僕は現在統合失調症のため、病院に通っている精神障害者です。二十歳のときに発病してから、三十五歳の今日まで、どのようにして自分の抱えている病気と付き合ってきたか、ということを主に書こうと思います。
まず、発病する前はどうだったか、簡単にふれておくことにします。
僕は、高校生の頃から、自分はいつか気が狂ってしまうのでは、自分はいつか発狂してしまうのではないか、という不安がありました。
それが、大学へ進学して一人暮らしをするようになってから、さらにひどくなってしまいました。その頃から、強迫神経症のような症状に悩まされていました。それは、具体的に言うと、本棚にある本が、ほんの少しも位置がズレていないかと確認しないと外出できないとか、離人症のような症状、歩いている自分に、体の実在感がないとか、そんな苦しい状態です。
以上が、18~19歳の頃のことなのですが、これは病気なのではないかと、自分でかなり気づいていました。そこで精神科のお医者さんの書いた本を少しずつ読むようになっていきました。それだけではなく、心理学の本とか、小説や哲学、エッセイなどの本も読んでいました。
二十歳の時、一週間ほど眠ることも食べることも出来なくなり、幻覚に襲われて入院してしまいました。これが僕にとっての発病です。このことについては、書こうと思えばいくらでも書けるほど、自分がどういう状態だったか、心理的にも、患者としてもいろいろあるのですが、今は、自分の中ではもう整理がついているので、ここでは省略させていただきます。
このように病院で治療を受けるようになったのですが、退院してからも、治療方針が主に薬物療法だったため、心の中では、自分の苦しみをぬぐい去ることが出来ませんでした。
そのとき、僕は大学生だったのですが、ボランティアのサークルに入ってから、仲の良い友達や何人かの親友が出来ました。そのとき、僕は自分が精神病であることは隠さずに友達になったので、気分的にはずいぶん救われました。
また、発病したときに一番悩んでいたことを打ち明けることの出来る親友が出来たことは、とても大きかったと思います。
大学4回生の夏に、父方の祖母が亡くなりました。僕にとっては、自分が初めて体験する身近な人の死でした。そのときから、僕は自分自身もいつかは死ぬのだということを、心の中に決定的に持つようになりました。
そして、祖母があの世に旅立っていくさまを見送りながら、僕は人を愛して生きて生きたいと思うようになりました。
僕はかなり早い段階から、病気というのは自分のことなのだから、自分が一番しっかりしないといけないと思っていたので、病気を治すのは自分自身だという強い自覚がありました。心理学の本もよく読みました。
また、中学生の頃から聴いてきたクラシック音楽も良く聴いていました。そして、絵を観るのもだんだん好きになってゆきました。このようなことは、僕にとっては、心を豊かにすることであったり、病気に負けないよう心を強くすることであったりしたと思います。そして、もちろん、心を癒すことでもあったのです。
あるとき、僕は、病院に通う生活の中で、次のようなことに気づきました。これまでの人生が、どんなに苦しかろうが、悲しかろうが、惨めだろうが、僕は人生を嫌いになんかなれなかった。それどころか、それまでの何倍も人生を好きになることが出来たこと。
そのとき、胸の奥から心の底からエネルギーがいっぱいにあふれてきて、自分が新しく生まれ変わったかのようなさわやかさを感じました。そして、それを境目にして、少しづつ自分の心の中で安定感が生まれてきたのです。
それには、次のようなこともあったと思います。
ある日、僕は眠っている間に、ものすごく何かに戦慄し、恐怖心のあまり目が覚めてドキドキしてたまらないような夢を見たことがありました。その日は、とても不安定な心のままに、あの夢は何だったんだろうとしきりに疑問を抱いたまま過ごしていたのですが、そうしているうちに、この夢の意味が今分からなければ、これからドンドン調子が崩れていくに違いないという気持ちになったのです。
そのとき、僕は勇気を出して全力を集中させて、自分で自分の夢分析をしようと決意したのです。三十分くらい集中して、全力を尽くした結果、分析は成功しました。とても晴れ晴れした気持ちになり、期せずして、この体験が出発点となり、その後も長い期間、自分の分析が続くことになりました。ただ、これで十分ということではなく、まだまだ山あり谷ありの道のりが続くのですが、僕が24歳のとき母が病気で亡くなりました。
母は、僕にとても良くしてくれていたので、それまでの僕の人生の中で、最大の不幸でした。それからというもの、一年間ほども苦しい時期が続いたことも、ものすごい不幸でした。
僕が子供だった頃から、母がしてくれたことをたくさん思い出しました。
その時点で、僕はもう詩を書き始めていました。
今でも、眠っている間に見る夢の中に、生きたままと同じみたいに出てきてくれます。
今から8年ほど前に、病院にデイケア部門があることを知って、すぐにそこに通うようになりました。そのときは、アルバイトをしたりしていたのですが、とにかくしんどくて、あまり長続きしないで悩んでいたので、ちょうどいいと思いました。
デイケアというのは、一種のリハビリのようなもので、同じ病気を持った仲間たちの中で、散歩をしたり、料理をしたり、テニスをしたり、座談会をしたり、映画を観たり、カラオケをしたり、絵を描いたり、作業をしたりしています。
始めにデイケアに通うことになったとき、僕は、対人関係を頑張ろうという目的・目標を心の中で立てました。そして、人に積極的に話しかけたりして、友達を作っていきました。
友達同士で、病気のこともいろいろ話したりしました。
また、デイケアでは昼食が出るので、その日の献立もよく話題になります。今も僕はデイケアのメンバーです。
これまで、僕は、いろいろなものを見たり、聞いたりやったりして、頑張って生きてきました。クラシック音楽を聴くこと、絵を見ること、詩を書くこと、本を読むこと、友達と付き合うこと・・・・・・・などです。
クラシック音楽鑑賞。僕は中学生の頃から聴き続けてきましたが、人間というものが心の中に持つあらゆる感情の中で、音楽として表現できないものはないと言われています。
僕が音楽を聴くとき、僕はその曲の中に込められた作曲家の想いと僕自身の想いを重ね合わせますが、そうすることで、僕の内にうごめいているものが、自然な形で昇華されていくような気がします。
絵を観ること。これは僕が大学生になってから始めたことですが、僕は絵を観ていると、とても心が和みます。
本を読むこと。僕は高校生の頃、少しずつ本を読んでいましたが、大学生になってからよく読むようになりました。主にはじめのうちは哲学、心理学、精神医学などを読んでいました。小説などは、苦手なほうでしたが、少しでも、読めるようになりたいと思って、頑張っていくうちに少しずつ読めるようになっていきました。
小説などは例えば、こんなときに、こんなことがあったりした場合、こんな風に考えたり、こんな風に言ったりしてもいいんじゃないかな、みたいに、視野が広がるような思いをすることがあります。
詩を書くこと。父方の祖母が亡くなったとき、その悲しみから立ち上がろうとして書いたことから、次第次第に書く習慣が身につきました。自分自身が体験したことを中心に、自分の願望から美しいものへの憧れ、友達に対する想い、自分が信じているものなど、いろいろなテーマで書いています。
友達と付き合うこと。僕には、大学時代に出会った友達も含めて、たくさん友達がいますが、いろいろな人と友達になることで、世界が広がっていくような体験になり、孤独と親しみのバランスが上手く働くように思います。
以上、ここまで、自分の病気に関することを書いてきましたが、僕が一番自分自身に望むことは、人は生きていく意志によって治るということです。
祖母が亡くなったとき、人を愛して生きていきたいと思ったのと同じことを、母が亡くなった時にも心の中で思いましたが、その良く似た二つの事柄の間に、大きな違いが一つだけあります。それは、人を愛して生きていきたいと想う気持ちを、何倍にも深く、そして何倍にも強く想ったことです。僕は人間としてこの世に生まれてくることが出来て本当に良かったと思っています。
そして、僕はクラシック音楽が一番好きなのですが、シューマンというドイツの作曲家がいます。今から200年近く昔の人なのですが、この人も精神病で苦しんだ人だそうです。僕にとって大好きな作曲家の一人なのですが、晩年に、あまりの苦しさから、ライン川に身を投げてしまいます。そのときは、たまたま通りかかった船で助けられて病院に入れられてしまいます。しかし、その生涯の中で、数多くの名曲を世に残しています。それらは、今でも、世界中で演奏され、聴かれ続けています。そして、これからもいつまでも愛され続けていくことでしょう。
人間というものは、生身の体を持った、不完全な存在ですが、いつかは死んでゆく限定された存在です。そんな人間という存在が、音楽という新しい永遠の命を生み出しています。
そんな音楽が、僕の耳を通して僕の中に流れ込み、僕の心に触れるとき、僕はそのような音楽を愛するのと同じくらい、人間という存在がいとおしいです。