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病気体験談集

ヘルパーになったきっかけ

愛称 “台風”

私は、池田市にある地域生活支援センター「咲笑」の中のヘルパーステーションアパランで働いているヘルパーの、台風です。
アパランでは、ピアヘルパーとして現在8名働いています。ピアヘルパーとは、利用者さんと同じ障害のある人がヘルパーの2級の資格を取って働くことです。アパランでは、ピアヘルパーが2人で利用者さんのお宅にお伺いしています。そして、料理と掃除を2人で分担します。ヘルパーの1人が不安定なとき、お互いを助け合うことができます。2人で行くので、1人で行くより利用者の方にとって心の負担が少なくなります。調理や掃除だけではなく、1人で出かけるのが不安な方の外出や通院同行も行なっています。
利用者さんが、疲れているときや心がしんどいときは、お互いに休息をとるようにしています。お買い物をするときは、新鮮で形がよく値段が安いものを選んでいます。利用者さんのご希望に添えるように心がけています。
 アパランでは毎月第3土曜日にヘルパーミーティングを午前10時から行なっています。11時からは利用者さんたちにも参加していただいて、ヘルパーの仕事としての良いところ悪いところを一緒に話しています。悪いところはどの様にしたらよいか利用者さんにお聞きして直しています。ヘルパー同士でも意見を交換し合って、仕事内容や対応の仕方を検討しています。

私がヘルパーになったきっかけは、以前保健所の相談員で現在咲笑の施設長の野田さんに、大阪府でピアヘルパーの養成講座があるので受けてみないかと誘いを受けたのが始まりです。2人1組で半年間、授業と実技の授業を受けました。間に夏休みがあったので、とても良かったです。多くの先生方に様々なことを学びました。受講生が全員卒業できたことが大変嬉しかったです。
ピアヘルパーとして働く中でどういうことに気をつけているかというと、利用者さんの立場になり、疲れているときとか病気の症状が出ているときはなるべくそっとして静かに仕事をしています。例えば音が立たない拭き掃除とか、利用者さんから離れた場所の掃除をしています。汚れているところを掃除しますけれども、利用者さんが体調が悪くなったとき、仕事が途中の場合はゆっくりとしたスピードで片付けていきます。又、直前のキャンセルも訪問中のキャンセルも可能です。
私たちの病気は目に見える人と見えない人がいるので、他人からは理解してもらいにくいです。私は他者からの言動で心が揺れることがあります。そのため、しんどいときやつらいとき1人で良くなるまで時が過ぎるのを待ちました。今は体調が良いです。気分転換として睡眠をとったり、本を読んだり音楽を聴いたりお菓子を作ったりしています。気分転換の中で薬の服用もかかせないと思います。
 ヘルパーの仕事をしていて嬉しいときは、料理をおいしいとほめられたり、部屋を片付けた後「きれいになったね」と言われた時です。私の後からヘルパーになった人が、一緒に仕事をしていく中で育っていくのを見ているのも嬉しいです。
 ヘルパー同士、料理の調味料のかげんをきいたり、料理の仕方を聞いているときが楽しいときです。
 疲れたときに仕事をしていると、体が自由に動かなくなることもありますが、ヘルパー先に迷惑をかけられないのでそんなときでも訪問します。しかし、ヘルパー先に行っても思うように仕事が出来ません。それがつらいことです。
初期の頃は、利用者さんに言って体を横にさせてもらったこともあります。でもその後は、体がリフレッシュされ、働くことが出来ました。

私はまず、保健所の相談員さんに色々相談してもくよう会というグループワークに参加して体を慣らしていくことから始めました。もくよう会だけに1年半ぐらい通っていました。薬を飲み始めた頃は、薬の副作用で体がだるくなるのでよくゴロゴロ横になることがありました。横になっていると母親に「寝てばかりいないで体を動かしたら?」とよく言われました。私は母親に「体調がよくなるまでそっとしておいて」と言ったのですが、母親は私が一見元気そうに見えるのに横になっているのでぐうたらに見えていたようです。その状態が半年以上経って体が薬に慣れてきた時に少し体が動くようになってきました。その姿を見て母親は「働ける場所はないのかな?」、と相談員さんに相談をしていました。相談員さんは「本人の体調がまだ整っていないので、働くには早い。もう少し本人を見守っていってください。」とおっしゃいました。
その後、体調が良くなって、作業所に通うことができるようになりました。丸2年位作業所ともくよう会をかねて通っている時に、私が料理を作っている姿を見て相談員の野田さんが「ヘルパーになる気はないかな?」と声をかけてくださいました。
作業所に行く時期とかピアヘルパーになる時期とか母親には遅いと言われましたが、私にとっては段階を踏んでマイペースに進んでいけたと思います。
私は、同期のヘルパーさんや、施設長の野田さんや多くのスタッフ、親や友達に支えられたことで働き続けられたと思います。皆さんが多くの人に支えられて育っていかれることを願っています。

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