社会福祉法人 てしま福祉会
精神障害者 地域活動支援センター
咲笑(さくら)
〒563-0042
大阪府池田市宇保町8-30ジェムトレンド101号
TEL:072-750-3230 FAX:072-750-3239
nw-sakura@nifty.com
病気体験談集
体 験 談
U.M.
僕は17歳のときに発病しました。喫茶店とパブのアルバイトをふたつ掛け持ちしていて、一ヶ月以上の不眠が続き、そのときに幻聴や幻覚を体験しました。友達4人でお好み焼き屋へ行ったとき、店員の女の子が僕らの悪口を言っているのが聞こえ、それを友達に言うと「そんなの全然聞こえんで」と言われ、おかしいなあと思って、それでも悪口は聞こえていたので具体的に聞こえる内容を話して説明したら「そんなことは言ってない」と3人とも言って否定しました。
その後、店員の女の子が僕らのテーブルまで来て「他にオーダーありませんか?」と言うので僕は「ありません」と言うと、3人ともキョトンとして僕を見ていました。友達に聞くと店員は来ていなかったことが始めてわかりました。これが最初の幻聴幻覚体験です。友達がいなかったら気づいていなかったでしょう。
そのあと精神科に受診したのですが,不安精神症と診断されました。同時に十二指腸潰瘍も併発して、高校に通えなくなり休学しました。ほとんど半年間は家から出られない引きこもり状態でした。
高校を4年で卒業して、19歳のとき英語の専門学校に通うため大阪に出てきました。
生活費を稼ぐためにアルバイトをずっとしていたのですが、再び幻聴や幻覚の症状が現れ、加えて体感幻覚という症状も出てきました。体感幻覚というのは、体をだれかにさわられてる感覚があることです。そのときは食欲もまったく無くなってしまい、2ヶ月で10キロほど体重が落ちてしまいました。
あとは、テレビやラジオが自分のことを話しているという妄想もありました。
このとき、両親が見かねて僕を実家に連れて帰りました。その後も半年ほど、実家で引きこもりが続きました。
21歳のときに再び大阪に出てきました。役者を志して、芸能プロダクションに加入し、授業を受けながら、食べるために電気工事師の仕事をしていました。この頃も体感幻覚はずっと続いていました。
23歳のときに、小劇団に加入しました。このときは、派遣のアルバイトをしていました。
年に3本から6本の芝居に役者兼裏方として参加していました。
25歳で結婚しました。そのときはこれまで体験した幻覚、幻聴に加えてアルコールの連続飲酒があり、そのとき初めて統合失調症(精神分裂病)と診断されました。
その後、1カ月半ほど病院に入院しました。退院はできたものの薬物治療による副作用で自分が住んでいる住所さえ書けないような状態になってしまいました。家にいても何の気力もわかず常に身体が重たくて、何事にも集中できず、絶えず眠たい状態でした。
退院して2ヵ月後、妻が急死しました。その前後のことはクスリせいか、よく覚えていません。再び、実家に帰り、このときも半年ほど引きこもり状態になってしまいました。
27歳のとき、大阪の知り合いが一緒に看板屋をやらないかと誘ってくれたので、また大阪に出てきました。劇団にも復帰し、看板屋の仕事と劇団の活動をしていました。統合失調症の薬をずっと飲みながら続けていたので、家に帰ってからの身のまわりのことは何もできない状態でした。
28歳のとき、2度目の入院をしました。実家のある岡山の病院で一ヶ月入院していました。退院後もしんどいながら、看板屋は続けていましたが、劇団活動のほうは、クスリのせいでセリフがまったく覚えられない状態でした。当然、毎芝居ごとにセリフが少なくなり、裏方の仕事が増えました。このころが一番辛い生活を送っていたと思います。
29歳になって、仕事がまったくなくなり、劇団活動も休止してしまいました。次の仕事を見つける気にもなれず、三ヶ月ほど、貯金を食いつぶして生活していました。通院していたケースワーカーに相談して、障害基礎年金と生活保護を受けることになりました。
このころは、川西のデイケアに通っていましたが、そのデイケアに通うのもしんどくなり昼夜逆転して、生活のリズムがばらばらになってしまい3度目の入院をしてしまいました。それまで、副作用がきつくて自己判断で、薬を勝手に止めてみたりとか、気分しだいで薬を飲んだり飲まなかったりしていましたが、このころからクスリは必要だと実感して、自分から進んで飲むようになりました。
32歳のとき、通っていたデイケア先で知り合った女性と結婚しました。同時に生活支援センターにも通い始めました。作業所ウォンバットにも通うようになりました。
一年ほどあと、状態を再び崩してしまうことがあり、自分の中では「入院しなければならないのかな?」という状態になってしまいました。しかしそのとき、状態が悪くなると訪問看護士さんとそのつど話ししたり、受診に付き添っていただいたり、そのころ抱えていた問題を保健所の相談員や咲笑の職員などに相談したりして、何とか入院しなくてすみました。
そのときお世話になった、クリニックの先生、ケースワーカー、訪問看護ステーション、保健所の相談員、咲笑の職員、作業所の職員、両親、友達には、本当に感謝しています。
池田市に住んで、多くの人が僕と関わってくれて、いろいろ支えてくれたことで、今のところ入院しなくてもすみ、なんとか今の僕の生活のリズムがキープできていると思います。
現在は、当事者会の副会長として活動しています。2、3ヶ月に1度ミーティングを開き、来月、さ来月の行事を決めています。その行事のポスターを作ったり、電話で予約の確認をしたり、各施設にファックスを送ったり、咲笑ではアルミ缶を集めて売っていて、その売り上げを当事者会に寄付してもらっているので、そのつど会計の帳簿をつけたり、銀行に入出金に行ったりしています。7月には奈良に住んでいる咲笑の非常勤職員の家へバーベキューに行ったのですが、食料の買出し、準備、後片付けなどいろいろなことをやりました。8月には音羽茶屋で食事会をしました。どちらも大成功でした。
今でも、3日ほど不眠が続くと幻聴が聞こえるし、常に体感幻覚はあって、これまでいろいろな薬を試してみたのですが、治りません。常に抗うつ剤と統合失調症の薬を飲んでいます。これから先、毎日を楽しく、適当に忙しく、ストレスの少ない生活が続けられるようぼちぼちやっていきたいと思っています。